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絵画ギャラリー
週報に「某氏から絵画の贈呈があった」旨報告のお知らせを見て、それでは是非HPにupしてほしいとの要望がありましたので、以下の通り、逐次UPしていきます。以下の作品は当教会会堂内に展示されています。

絵画 吊橋.jpg

永遠への吊り橋

間もなく来る春を待ち望むかのような冬枯れの高原に架かる吊り橋。

額縁と相まって吊り橋の門柱は右上の菜の花、天国を連想する時空に誘う。命は春に始まり、

夏の盛り、秋の実り、そして死の冬の先には、希望の永遠がある。

絵画 ゆき.jpg

「ゆき」

作者が何かとお世話になった方のお嬢さんを描いた作品。お嬢さんの漢字表記は覚えていないというので「ゆき」とした。二十年以上前の作品であり、ゆきチャンはもう立派な大人になっているだろう。「ゆきさん、幼い頃のあなたは、この別府キリスト教会にいるよ。」そう言いつつも、「心をいれかえて幼な子のようにならなければ、天国にはいることはできないであろう。」と言われた主イエス様を想う。マタイによる福音書18章3節

岡城の月.jpg

「岡城の月」

​大分県竹田市にある岡城と松にかかる昼の月を描いた作品である。名曲「荒城の月」を作曲した滝廉太郎は、少年時代、岡城が遊び場であったという。新約聖書使徒行伝8章26節を思う。「主の使いがピリポに向かって言った、『立って南方に行き、エルサレムからガザへ下る道に出なさい。』このガザは、今は荒れはてている。」 この作品を見て、ある方は、「石段を降りてだれかが来るような気がする」と言われた。ピリポならば、エチオピア女王カンダケの高官が降りてきたであろう。さてあなたには誰が降りてくるか。感だけで推測されたし。

佐賀関海岸.jpg

「光を求めて」

​大分名物「関鯖」が回遊する佐賀関海岸を描いたこの作品は、海獣トドのような岩が、引潮のかなたにある明るい陽光に惹かれて、周囲の暗い闇から、水平線の彼方に光を求める静かな決意を観ることができる。

 ヨハネによる福音書3章20~21節を連想させる。「悪を行っている者はみな光を憎む。そして、その行いが明るみに出されるのを恐れて、光に来ようとはしない。しかし、真理を行っている者は光に来る。その人の行いの、神にあってなされたということが、明らかにされるためである。」

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